ダイヤのA
ねえ、呼んで 前編
デートの帰りに最寄りの駅まで送って貰う。
何で家では無いのかと言えば、家までの距離で考え事をしたかったから。
コンビニに寄ってドリップコーヒーを買って飲みながら家路を歩く。
信号待ちの間に空を見上げ、星や月を探す。
東京の空では、見えるものなんて数少ない。
信号が青になり横断歩道を渡っていると、ポケットの中の携帯が鳴り出した。
渡りきった所で画面見ると『御幸一也』と出ていた。
「え?」
思わず動きが止まってしまう。
その間に音が鳴りやみ、画面が暗くなった。
「何かあったのかな・・・」
気になったけれど折り返す勇気は無い。
彼とは半年前に別れているのだ。
別れたいと言った私に対して「分かった」だけしか言わなかった。
そんな彼から電話があると思えない。
きっと間違えてボタンを押したのだろうと結論付けてポケットに戻そうとした電話が再び鳴り出した。
そこには見た事の無い番号が浮かび上がっている。
仕事の連絡だろうか?
画面に指を滑らせて電話を耳に当てる。
「もしもし?」
『御幸の知人でと言います。さん・・・ですよね?御幸と付き合ってた』
「あ・・・はい」
『申し訳ないんだけど、今から御幸の家に来られませんか?』
「え?」
『タクシー使ってください。金は俺が出しますから』
「え?」
『御幸の為じゃなくて俺の為にお願いします』
電話越しの声でも分かる切羽詰まった感じ。
私は「分かりました」と言い、到着時間を伝えて電話を切った。
そして駅に引き返して電車に乗る。
なぜと言う男性は私に掛けて来たのだろうか?
最初の電話も彼からだったかもしれない。
電車を乗り換えて数駅行き、改札を出てタクシーを拾う。
最初に表示された数字から少し金額が上がり、彼のマンションに到着した。
目の前には一時期通ったマンションがある。
エントランスをくぐって自動ドアの前に立ち、部屋番号を押す。
すると先ほどの電話の声が聞こえてロックが解除されドアが開いた。
エレベーターに乗って部屋に向かうと、到着するより先にドアが開いた。
「ちゃん?」
「あ、はい」
ドアに背を預けて立つ彼は背が高い。
多分、彼はチームの先輩のはずだ。
「こんな夜更けにごめんね」
「具合でも悪いんですか?」
「そ。不治の病」
「え?」
「だから後は頼んだよ」
彼は私を中へと促し頭をポンポンと叩いて部屋を出て行ってしまった。
不治の病は大袈裟でも、私が呼び出されたのだから何かあるのだろう。
「お邪魔します」
玄関でヒールを脱ぎ、リビングへの扉を開ける。
ソファには上着が掛かっていてグラスがテーブルに1つあり、グラスの下に2千円が挟まれていた。
多分、先ほどの彼がタクシー代として置いて行ったのだろう。
とりあえず私も上着を脱いでソファに荷物と一緒に置く。
バスルームから水音はしないから寝室にでもいるのだろうか?
ドアをノックして足を踏み入れる。
「御幸?」
部屋の中は真っ暗で物音1つしない。
ベッドに近付けば大きな体が横たわっている。
近付くと眼鏡をしたまま眠る御幸がいた。
とりあえずメガネを外してサイドボードに置き、彼の体を揺さぶる。
「掛け布団は敷くものじゃないよ」
大きな体の下から上掛けを引っ張り出す。
「ん~・・・」
眉を寄せ、腕を上げて唸りながら体を捻る。
そのおかげで上掛けがするりと抜けた。
「はい、ちゃんと掛けないと風邪ひくから。もう引いてるかもしれないけど」
「・・・・・・・」
「そうだよ。ちゃんと掛けて」
上掛けを肩まで掛けようとしたら、急に彼が上体を起こした。
「・・・なんで・・・・・・」
「さんって人から電話が来たの」
「?」
「なんか元気そうだし、帰るね」
私は寝室を出て、上着と荷物を手にする。
すると玄関には御幸が立っていた。
「もう遅いし泊まれば?」
「明日も仕事だし」
「洋服まだあるよ」
「そういう問題じゃないでしょ?」
「何で?」
「電話する相手、違うでしょ?」
「違ってないよ」
「私の番号、消しておいて」
「嫌だって言ったら?」
「分かった。私が番号変える。帰るからどいて」
玄関先に立つ彼がいて、出るに出られない。
「だから泊まればいいじゃん」
「・・・・・・」
こんな大男をどかすのは私では不可能だ。
私はコートを着て、ソファに座る。
「何でコート着るの?」
「ここで寝るから」
「ベッドで寝ればいいじゃん」
「嫌」
「分かった。布団持ってくる」
両手を胸の前で上げ、降参のポーズを取る。
そして空いている部屋へ向かった。
その瞬間、私はヒールを履いて玄関を出た。
エレベーターは真上の階にあるらしいのでボタンを押して待つ。
エレベーターが開くのと、御幸の部屋の玄関が開くのは同時だった。
私は箱に乗り込 み、1階まで行きマンションを出た。
腕時計を確認して、大通りを目指す。
この時間ならタクシーが拾えるだろう。
けれど前へ進むはずだった体は後ろへと戻される。
「待って!!」
肩を上下に揺らし、荒い息遣いの彼に腕を引かれた様だ。
きっと階段を駆け下りて来たのだろう。
「そんなに俺と一緒にいたくない?」
「・・・いたいと思ってたら別れてないと思うけど?」
「俺はいたいんだけど」
「無理な相談」
「何で?」
「もう本当に何なの?」
「別れたくないんだけど」
「・・・・・・は?何言って」
「だから戻って来て欲しいんだけど」
「無理」
「もう新しい男いるんだ?」
「いるけど?」
「じゃあ、別れてよ」
「いやよ」
「俺より良い男なんだ?」
「・・・・・・そうよ」
「・・・・・・」
「それじゃあ、さっ!!!!」
さようならと続けようとしたら言葉が彼の唇によって遮られてしまった。
気付けば彼の腕の中にいる。
というか、彼は上着を着ていない。
「ちょっ」
「好きなんだ!!」
「え?」
「気持ちが無いのに引き留める事なんか出来ねえし、そのまま半年も経ったけど」
「・・・・・・」
「野球にも集中出来なくて先輩から怒られたり・・・ほんと、格好悪ぃ」
「・・・・・・」
「でも格好悪いなんて言ってらんねえ。好きだ。好きなんだ。別れたのを後悔したのなんて初めてだ」
「もう、遅い」
「遅くない。絶対取り戻す」
彼の腕に力が加わり、腕の中から逃げ出す事は出来なかった。
2017/07/11