「東京に行ってくれないか?」
新年度を迎える前の決算間際で忙しない時に上司に呼び出されて言われた言葉。
営業部所属で補佐とは言え、売上目標達成と、引継ぎと、引っ越しをこなすのは容易では無かった。
四月初めの日曜に東京の新しいマンションに引っ越した。
と言っても家具らしい家具は無いし、ワンルームマンションでもウォークインクローゼットがある部屋を選んだので不便では無かった。
荷解きする前に、菓子折りを持って隣の部屋への挨拶に向かう。
このマンションは廊下を挟んだ反対側にも部屋がある作りで、とりあえず隣の401号室のインターフォンを押す。
………反応無し。
次に向かい側の404号室のインターフォンを押すとお爺さんが出て来て奥さんが亡くなられて一人で住んでるらしい。
そして405号室には大学生の男の子が住んでいた。
ひとまず菓子折りを家に置き、鞄を持って外出する。
駅前にある家電から食材まで揃うスーパーに向かった。
二人分のあれこれ食器を購入し、調理器具を新しく揃える。
一人で持つ分を考え、最後に食材を購入してマンションに戻る。
「……じゃぁな~」
マンションの目の前に停まっている車から、長身の頭がツンツンしたジャージ姿の男性が降りてきて運転手に手を振っていた。
それからマンションに入ろうとした私と一緒になったので会釈をすると、向こうもそれにならった。
エレベーターが来て彼が先に乗り込み「何階ですか?」と聞かれたので「4階をお願いします」と告げる。
パネルの回数は4だけ光っていた。
エレベーターが停まると「お先にどうぞ」と譲られたので遠慮なく「ありがとうございます」と言って降りた。
そして玄関前に荷物を置くと「新しいお隣さんか」と声がした。
振り向けば401号室のカギ穴に鍵を差し入れている。
「あ!ちょっと待ってください!」
急いでドアを開けて菓子折りを手にして、彼の方へ。
「今日から隣に住む、です。よろしくお願いします」
「これはご丁寧に。俺は黒尾鉄朗。何かあればいつでもドーゾ」
と、何だか胡散臭い笑顔で言われた。
とりあえずこれで挨拶はし終えた。
中に荷物を入れ、新しい生活を始めた。
「え?配送が一番早くて水曜日!?時間指定が出来ないの!!!?」
東京に引っ越して最初の土曜日。
いくら暖かかくなってきた四月とはいえ、フローリングの上に布団と言うのには無理があった。
なので家具屋に来てベッドを選んだまでは良いけど、配送が水曜日と言われる。
社会人にとって平日の時間指定無しなんて受け取れる訳がない。
しかも異動して慣れない仕事で残業は続いてるし、せめて寝る時くらいと思ってたのに後1週間は現状維持のなんて辛すぎる。
「おやおや~?チャンはお困りですかー?」
「え?」
顔を上げると確か隣の部屋の人がいた。
「家具でも買ったの?」
「えっと…ベッドを」
「今日持って帰れば良いじゃん。ここって車借りられるっしょ」
「そうですけど、都内を運転する自信が…」
地元の仙台市内とは違う都内の車事情。
「俺が運転してくけど?」
「え?あー………」
「まだ何か不安な事でも?」
「……組み立てが」
「ああ、なるほど。んじゃ、今日はオフだし、俺が引き受けてあげよう」
「………良いんですか?」
「良いよー」
ニヤニヤした笑顔で(確か)黒尾さんが快く(?)引き受けてくれた。
荷物を積み込み、ついでに道順もしっかり覚える。
荷物を下ろしたら彼に一任して私が車を戻しに戻る。
ついでに食材を買い込んで家に戻ると、ベッドメイキングの途中だった。
「あの!良かったらお礼に食事作るんで一緒にどうですか?」
「マジで?」
「か、家庭料理レベルで申し訳ないんですけど」
「十分デショ。んじゃ、俺はシャワーでも浴びてくるけど、その後またコッチ来ればいい?」
「ご飯を今から炊くので一時間は…」
「オッケー。んじゃ、電話して」
すると黒尾さんはベッドの箱の一部を引っぺがし、カウンターに置いてあったペンで電話番号を書きだした。
彼を見送って私は調理に入る。
一人だとどうしても手抜きで炒め物が多くなってしまう。
1時間あれば煮物が作れるし、冷凍する事も出来る。
なので可能な限りの煮物や炒め物を作ってみた。
「すっげ~。1時間でこんなに作れるんだな」
「……えーっと……はい」
「ん?俺の顔になんか付いてる?」
「いえ、むしろ無いって言うか……」
「ああ、髪?あれ、寝ぐせなんだよ」
「え?あれが?」
「そうそう。枕と枕をこうして寝ると、ああなる」
「2つ使ってるんですか?」
「使ってるっていうか……そろそろ食べて良い?腹減ったんだけど」
「ああ、すいません。どうぞ召し上がってください」
東京に来て初めて一人じゃない食事、黒尾さんと笑いながら夕飯を食べた。
2019/01/05