Baby Steps
契約彼氏
うちの近所に鷹崎奈津と池爽児と言う二人が住んでいた。
彼等は子供の頃からテニスをしていて、爽児君は特に有名らしい。
近所に住んでいても親しい訳では無い。
学校の集団下校などで一緒になったくらいの関係だ。
それでも世界的に有名になれば一般人しかいない我が家でも名前が上がる。
「池さん家の~」とか「鷹崎さんの~」とか。
私からすれば別世界の話・・・・・・だったのに。
「俺の彼女になってくんない?」
「他あたってください」
「探してる時間無いんで。頼むよ、さん」
「え?」
「ん?」
「何で名前」
「ああ、だって同じ学区だったじゃん」
爽やかな笑顔で言われても・・・。
えっと、時間を巻き戻します。
仕事が終わって家に帰る途中、彼の家の前で池爽児が立っていた。
知らんぷりするのも嫌だから、会釈だけしたのだが腕を掴まれた。
そして先ほどの会話に戻る。
「日本にいる間だけでも良いから。恋人がいないと面倒な事が多くてさ」
「それってどれくらい」
「1週間・・・かな」
「でも彼女って言っても」
「そうだな・・・仕事の後に飯とか付き合ってくれればいいよ」
「・・・・・・それくらいなら」
「決まり!」
そして連絡先を交換したまでは良かった。
彼が一般人と掛け離れているのを実感するのは、もうすぐの事。
翌日の昼休みに爽児君からメッセージがあった。
『残業しないで帰れる?』と。
特別忙しくも無いので『大丈夫』と返した。
その後連絡が無いまま終業時間となり、会社を出る。
すると真っ赤な高級車に寄りかかる様にして立っている爽児君がいた。
「あ、さーん!」
爽やかな笑顔で手を振る彼。
ちょっと待ってよ!思いっきり目立ってるんだけど!!!!
私は彼に駆け寄り、車に押し込んだ。
「有名人としての自覚ある!?」
「えーないよ。だって単なるテニスプレイヤーだし」
「少し自覚して!!」
「それよりさ、シートベルトして」
ニコニコしてる爽児君は私の意見はあっさりと聞き流してしまった。
とりあえず彼の言う通りにして、ベルトをする。
ゆっくり動き出す車は、私が知っている車とは違う揺れの少ないものだった。
程よい振動は私の眠気を増進させる。
「さーん、着いたよ」
隣から聞こえた爽やかな声で重い瞼を持ち上げる。
するとホテルの入り口らしい。
あれよあれよで連れて来られた一室に足を踏み入れると、数人の女性がいた。
「よろしく。さん、後でね」
彼が出て行った瞬間から戦争が始まった。
シェービングにマッサージ、ヘアメイクをされてドレスを渡される。
ミニのタイトドレスかと思えば後から渡された総レースの裾が斜めにカットされたフレアスカートを巻く。
自分が友達の結婚式に出る時でも、こんなに素敵な仕上がりにならない!
流石プロの手腕などと思っていたらドアがノックされ、タキシードを着た爽児君がいた。
そして彼女達にお礼を言うと、スタッフが部屋を出て行った。
爽児君が近付いてきて目の前に立つ。
「凄い綺麗」
「あ、ありがとう」
「じゃあ、いこっか」
「どこに?」
「行けば分かるよ」
そして腕を取られ、彼の腕に乗せられる。
ジャケットの上からでも分かる鍛えられた腕にドキっとした。
そしてドアの前に人が立ってる場所に来て、ドアが開く。
そこは何かのパーティー会場の様だった。
「Hi!!」
近くにいた男性が爽児君に気付いて声を掛けて来た。
しかも英語で!!!
それに爽やかな笑顔で返す爽児君。
外人男性が何か言いながら私を見た。
すると爽児君は私の肩を抱いて何か喋っている。
目の前の男性は「おー!」とか何とかいって笑顔で手を差し伸べてくる。
とりあえず笑顔で彼の手を取り握手をする。
男性がいなくなった途端、彼は口元を押さえてプククと笑い出した。
「な、何か・・・変だった?」
「いや・・・・・・さん、英語苦手?」
「成績は3をキープしてたけど」
「これから英会話は頑張って貰わないとな」
「え?何で?」
「とりあえずパーティー楽しもう。お酒いける?」
「飲めるけど・・・これってパーティーでしょ?」
「立食だけど飯もあるし、だから夕飯じゃん?」
「え?そういう問題?」
「違うの?」
ニコニコと笑顔で聞かれても困ると言うか・・・
パーティーは夕飯に入るかどうかなんて、私だって知らないけど。
「爽児!」
「ああ、さん」
「彼女が?」
「そうですよ」
するとさんとやらが私を見て手を差し出してくる。
「初めまして、テニス雑誌の記者をしていますです」
「です」
「いや~~~お噂はかねがね」
「え?噂?」
「ちょっとさん!」
「え?まだ言ってないの?」
すると爽児君は手で顔を覆って天を仰いだ。
さんとやらはお腹を抱えてしゃがみこんで笑ってるし。
「いやはや。えーと、さん?これからもよろしく」
「あ、はい・・・・・・え?」
「さんめ・・・・・・」
すると爽児君は大きく深呼吸をして、私と向き合う形になった。
彼の顔は真剣そのもの。
「さん、好きです」
「え?」
「知らないと思うけど、俺の初恋なんだよね」
「・・・・・・・は?」
「すぐにテニスの世界に入っちゃったし、
会えないし忘れられるかなって思ってたけど、
忘れられなくて。
日本に帰ってくる度に見かけるさんは綺麗になっていくしさ。
テニスやってて思ったけど、諦めたら終わりなんだ。
だから今回、強引だけど契約って形で接触したんだよね」
「・・・・・・」
「上手い具合に彼氏もいなかったみたいだしさ」
「・・・・・・」
「だから一週間で落としにかかるから覚悟しておいてね」
爽やかな笑顔で腹黒い事を言われた様な。
けれどその笑顔は私が知っている子供の時の爽児君と変わりなかった。
仕方ない、私も覚悟を決めよう。
テレビなどで名前を聞く度に目が行ってしまったのだから。
来週になったら駅前留学に申込に行こう。
今までは肩にあった手が私の腰を抱く様に添えられる。
なので私も彼の腰に腕を添えた。
2017/05/15